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【実施報告】2019/12/21『ロボットは宗教を持つのか?Ⅱ』

 2年前の2017年12月、京都文教大学臨床物語学研究センター主催の公開シンポジウム『ロボットは宗教を持つのか?』が開催された。

ロボット・AI研究の第一人者である大阪大学教授の石黒浩先生、本学客員教授であり劇作家・演出家の平田オリザ先生、そして国際日本文化研究センター名誉教授で宗教学者の山折哲雄先生をお迎えし、本学の秋田巌、当時博士後期課程(現研究生)の河嶋珠実さんの司会と趣旨説明により進められた。実に興味深い議論が展開されたのではあるが、肝心の「宗教を持つのか?」の核心に至るには時間不足であった。そこで、2019年12月21日、同メンバーが再集結し『ロボットは宗教を持つのか?Ⅱ』を行った。

 この2年の間に、石黒先生はアンドロイド観音をつくられた。その観音の説法に衆生は涙する。平田先生は「AIは願うことはできても祈ることはできないのではないか」と言われ、山折先生は「宗教の原点には死への恐怖がある。AIは宗教を持たないのではないか」と述べられた。アンドロイド観音に人が涙することを思えば、そこにはもうすでにアンドロイドの「祈り」があるではないか。IMG_2876.JPG

 また、石黒先生は「アンドロイドには病死はないが事故死はある」と言われる。病気には対処のしようがあるが、AIでも対処のしようがない不慮の事故がある。人間の祈りを超えた究極の祈りが産み出される可能性を指摘された。

 山折先生は「イタコの口寄せは演技的だが、それでも魅了されるものがある」と述べられた。演劇にもまた、演じる祈りが存在する。一神教においては、祈るところにしか祈りが存在しない。だが、日本ではどうか。祈りが偏在する。その祈ってくれているものを感じ取ることができるかどうか。そう考えると、アンドロイドの祈りは西洋人には届かないのかもしれない。IMG_2905.JPG

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