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【社会福祉法人汀会 止揚学園 園長 福井生氏】「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞受賞の園長が語る64年かけて育んできた、命と共に歩む福祉

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「目に見えるものより、目に見えないものを」

止揚学園が64年かけて育んできた、命と共に歩む福祉

1962年の開園以来、知的に重い障がいのある人たちと職員が、支援する側・される側という関係を超えて、「人生を共に歩む仲間」として暮らしてきた止揚学園。

止揚学園が大切にしているのは、「目に見えるものより、目に見えないものを」という考え方です。言葉にならない心の声に耳を傾け、一人ひとりの命と向き合いながら、施設ではなく「家」と呼べる場所をつくり続けています。

今回は、止揚学園の園長である福井生さんに、学園の原点や、仲間たちとの日々から教えられてきたこと、人を支えることの意味、多様性や自立に対する考え方について、京都文教大学地域企業連携コーディネーターの竹内良地がお話を伺いました。

社会福祉汀会 止揚学園

設立  :1962年8月
事業内容:障がい者支援施設
所在地 :滋賀県東近江市佐野町885
HP   :http://www.biwa.ne.jp/~ikuru/index.html

4人の子どもたちから始まった止揚学園

竹内良地:
まず、止揚学園が生まれた背景と、現在の取り組みについて教えてください。

福井生:
止揚学園は、今から64年前の1962年に設立されました。当時は、知的に重い障がいのある子どもたちが暮らす児童施設として、近江八幡にある古いお寺をお借りし、4人の子どもたちから始まりました。その後、4年ほどして、現在の滋賀県東近江市に移ってきました。

開園当初から暮らしている人たちも、やがて成人します。児童施設のままでは、成人になった仲間たちは別の場所へ移らなければなりません。しかし、長い時間を一緒に過ごしてきた仲間たちと離れるのは、とても寂しいことでした。

現在、制度上の止揚学園は、日中の生活介護と夜間の施設入所支援を行う障害者支援施設です。ただ、私たちは制度上のサービスを提供するだけの場所にとどまりたくないと思っています。

障がいがあるか、ないかという見方ではなく、出会った一人ひとりと人生の最後の時まで共に歩んでいく。私たちは、ここで暮らす人たちを「利用者」と呼ぶのではなく、「仲間たち」と呼んでいます。

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「利用者」ではなく、人生を共に歩む「仲間たち」

竹内:
止揚学園では、いつ頃から「仲間たち」と呼ぶようになったのでしょうか。

福井:
何かの時点で呼び方を決めたというより、一緒に暮らす年月を重ねるなかで、自然と「仲間たち」になっていったのだと思います。

止揚学園には、50年、40年、30年と働き続けている職員もいます。長く一緒に暮らしていると、職員のほうが、ご家族よりも仲間たちと長い時間を過ごしていることもあります。

年齢を重ねるにつれて、仲間たちのご両親が亡くなられることも増えてきました。親御さんにとって、自分が亡くなったあと、息子さんや娘さんがどのように暮らしていくのかは、本当に大きな心配です。

私も、亡くなる直前のお父さんやお母さんのそばで、その思いを託されたことが何度もあります。「自分が亡くなったあとも、この子を止揚学園で、命の最後の時まで過ごさせてほしい」と言われるのです。

未来のことは、誰にも分かりません。それでも、その場で「先のことは分かりません」とは言えません。私は、「分かりました。安心していてください。これからも、みんなで力を合わせて歩んでいきます」とお伝えしてきました。その言葉を聞いて、安心してくださるご両親の姿を何度も見てきました。

止揚学園には、仲間たちだけでなく、ご両親や、私たちの考え方に共感して長年応援してくださった方々が眠る納骨堂があります。この世界から姿が見えなくなっても、今も私たちを見守ってくださっている。そういう意味でも、ここは家族のような場所なのだと思います。

言葉を話せないことは、心が通じないことではない

竹内:
止揚学園に入ると、「目に見えるものより、目に見えないものを」という言葉が掲げられています。この言葉には、どのような思いが込められているのでしょうか。

福井:
止揚学園には、言葉を話すことが難しい仲間たちが多くいます。そのため、「言葉を話せない人とは意思疎通ができない」と言われることがあります。

しかし、私たちは、仲間たちの笑顔のなかに、とても大切な言葉があると思っています。

私たちが普段交わしているような、耳に聞こえる会話ではありません。目には見えず、耳にも聞こえない、心の言葉です。その心の言葉を聞こうとすることを、諦めてはいけないと思います。

「この人は何も話せないから、意思疎通はできない」と決めてしまえば、そこで終わってしまいます。けれども、その笑顔やしぐさを通して、確かに私たちに何かを語りかけていると信じれば、聞こえてくるものがあります。

私は、仲間たちが笑顔のうちに、「すべての命が、優しい笑顔でありますように」という祈りを捧げてくれているように感じることがあります。それを聞き取れるかどうかは、仲間たちの側ではなく、私たちの側にかかっているのだと思います。

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今は聞こえない言葉も、心のなかで生き続けている

竹内:
福井さんご自身も、子どもの頃から仲間たちと一緒に育ってこられたのですね。

福井:
はい。私は子どもの頃から、止揚学園の仲間たちと一緒に育ちました。私より5歳、10歳と年上の仲間たちが、私をおんぶしてくれたり、一緒に散歩をしてくれたりしました。私にとって、仲間たちは本当に友達のような存在でした。

Aさんという、私より10歳年上の女性がいます。私が子どもの頃、Aさんは「ルーちゃん、行こう、行こう」と声をかけてくれて、一緒に通学していました。ほかの仲間たちも、同じように私を誘ってくれました。

Aさんとは、もう50年近く一緒に過ごしています。今では年齢を重ね、言葉を話すことも、口から食事を取ることも難しくなり、胃ろうで栄養を取っています。

それでも、お腹が満たされると、本当にうれしそうな、満足した表情をされるんです。その笑顔を見ると、子どもの頃に一緒に過ごしたときの笑顔と同じだと感じます。そして、「ルーちゃん、行こう」と呼びかけてくれた言葉が、今も私の心のなかに聞こえてくるのです。

言葉は、今この瞬間に声として発せられているものだけではありません。過去に語られた言葉も、共有してきた思い出のなかで生き続けます。

Aさんは、今はほとんど言葉を話すことができません。それでも、Aさんの笑顔のなかには、これまで語ってくれた言葉が生きています。それも、一つの意思疎通だと思うのです。

AIやSNSの時代だからこそ、見えないものに目を向ける

竹内:
今は、AIやSNSによって、言葉や情報がすぐに可視化される時代です。そのなかで、目に見えないものを大切にすることには、どのような意味があると思われますか。

福井:
これからは、耳に聞こえる言葉や、文字として目に見えるものが、ますます重視される時代になると思います。私はAIを否定しているわけではありませんし、自分でも使います。

ただ、人間が目に見えるものや、すぐに答えを出してくれるものへ向かえば向かうほど、同じだけ、人間の目に見えない部分にも立ち返る必要があると思います。

聞こえる言葉がなければ関係が成立しない、説明できなければ存在しないということになれば、私たちは大切なものを失ってしまいます。

今の時代だからこそ、目に見えない心の動きや、言葉にならない呼びかけに耳を傾けることが、より大切になっているのではないでしょうか。

介護の「大変さ」の反対側に、生きる喜びがある

竹内:
職員の皆さんは、仲間たちの言葉にならない思いを受け止めながら関わっているように感じました。働く職員には、どのようなことを伝えているのでしょうか。

福井:
福祉の仕事は、人間と人間との関係のなかにあります。利益を上げることや、ノルマを達成することとは違います。

人間は物ではありません。物であれば、置いた場所にそのままとどまってくれますが、人間は一瞬一瞬変わっていきます。だから私は、24時間、心のどこかで仲間たちのことを考えています。

よく「福祉の仕事は大変ですね」と言われます。食事の介助や、入浴、排泄の支援などを見て、大変だと思われるのかもしれません。

けれども、私たちにとって本当に大変なのは、仲間たちが食事を取れないことです。お通じがないことです。そのほうが、ずっと心配です。

食事の支援は、単に職員がサービスを提供することではありません。仲間たちが食事をして、おいしそうな表情をしてくれる。お通じがあり、気持ちよく過ごしてくれる。大変さを越えた先に、喜びがあります。

人間が生きるということ自体が大変である一方、その反面には、生きる喜びがあります。大変さだけを見るのではなく、その反対側にある喜びも見る。そういう人間の捉え方が必要だと思います。

支援者が上に立つのではなく、「命」でつながる

竹内:
食事や排泄を「支援する側・される側」という一方向の関係で捉えていないのですね。

福井:
仲間たちのなかには、一人で食事をしたり、入浴したり、排泄したりすることが難しい人もいます。しかし、だからといって、職員が上に立ってはいけません。

仲間たちは、私たちにもっと大切なことを教えてくれています。それは、命です。

仲間たちの笑顔や、一つひとつのしぐさ、食べることや排泄すること、そのすべてが命に直結しています。命は目に見えませんが、私は、命というものは確かに存在していると思います。

障がいがあるかないかにかかわらず、命という点では、みんな同じです。私たちは、命によってつながっています。だから、支援者が上に立つのではなく、同じ場所に立ち、仲間たちの心の言葉を聞こうとする姿勢を忘れてはいけないのです。

若い職員が、すぐにその意味を理解するのは難しいと思います。私自身も、命についてすべて分かっているわけではありません。それでも、諦めずに伝え続けています。

毎週金曜日の職員会議でも、こうしたことを繰り返し話しています。いつか仲間たちと暮らすなかで、「命はあたたかい」「命は優しい」と感じる瞬間を持ってほしいと願っています。

施設のなかだけで通用するルールをつくらない

竹内:
施設は、ともすれば外部から閉ざされた場所になり、虐待などが起こる危険性もあります。止揚学園では、そのことをどのように考えていますか。

福井:
施設という場所は、内にこもりやすい場所でもあると思います。自分たちだけで通用するルールをつくり、閉じた世界になってしまう危険性があります。

だからこそ、止揚学園も一つの社会であり、地域なのだということを大切にしています。施設のなかだけで通用するルールをつくってはいけません。

止揚学園には、年間を通じて多くの方が訪れます。今日、竹内さんたちが仲間たちと一緒に食事をしてくださったように、外部の方と同じ時間を過ごすことを大切にしています。私たちも旅行や外出などを通して、積極的に外へ出ていきます。

外部との関係があり、新しい空気が流れ続ける場所であることが、閉じた施設にしないためにも必要だと思います。

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計画に人を合わせるのではなく、その人に合わせて計画を変える

竹内:
「施設のなかだけで通用するルールをつくらない」というお話がありました。個別支援計画やマニュアルについては、どのように考えていますか。

福井:
もちろん、一人ひとりに合わせた支援計画は必要です。ただ、一度計画を立てると、その計画どおりの結果を出さなければならないという考えに陥ることがあります。

今は、マニュアルや、すぐに出せる答えが重視される時代です。AIも、すぐに答えを出してくれます。しかし、人間に関わることには、一つの決まった答えはありません。

計画を先行させ、その人を計画のなかに収めようとすれば、人間を計画どおりに変えようとすることになります。しかし、私は、人間が人間を変えることはできないと思っています。

たとえ計画を立てていても、仲間たちがそれを求めていないと分かれば、すぐに変えます。「決めたことだから絶対にやらなければならない」というルールはありません。

計画に人を合わせるのではなく、そのときの仲間たちの状態や思いに合わせて、私たちが計画を変えていく。人間は常に変わり続ける存在だからこそ、支援する側も変わり続けなければなりません。

人だけでなく、建物や食器、自然も仲間たちを支えている

竹内:
止揚学園は、第15回「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞で、実行委員会特別賞を受賞されました。どのような点が評価されたのでしょうか。

福井:
労働基準などを守っていることはもちろんですが、「目に見えるものより、目に見えないものを」という止揚学園の理念が、日々のなかで大切にされていることや、長く働いている職員が多いことなども見ていただきました。

審査のなかで、止揚学園の生き方に共感してくださり、「このような施設は珍しい。もっと世の中に伝えるべきだ」と言っていただきました。

一般的には、支援とは人間が行うものだと考えられています。もちろん、人の力は大切です。しかし、私は、人間だけでなく、仲間たちが暮らす建物や食器、周囲の自然も、仲間たちを支えてくれていると思っています。

止揚学園では、できるだけプラスチックではなく陶器の食器を使っています。なかには、50年近く使い続けているコップやお皿もあります。それをみんなで丁寧に洗い、大切に使い続けると、物にも思いが宿っていきます。

「いつも使っている自分のお皿」があることによって、仲間たちの心が安定することもあります。

ここは単なる施設ではなく、仲間たちにとっての家です。多くの仲間たちは、ご両親を亡くされ、ここを本当の住まいとして暮らしています。職員にとっても、ここは大切な家です。

だからこそ、自分の家のように掃除をし、建物や物を大切にする。人だけでなく、建物も、食器も、自然も、仲間たちを包み、支えてくれているのです。

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「プールさん、この夏も一緒に泳ぎましょう」

竹内:
仲間たちは、自然や物に対しても、人間と同じように接しているのですね。

福井:
仲間たちは、自然にもよく声をかけています。止揚学園の周辺は水がきれいで、5月や6月には、近くの川辺で蛍を見ることができます。蛍を見に行ったとき、仲間の一人が、帰り際に「私はもう帰るから、ちゃんと電気を消してね」と蛍に話しかけたことがありました。

また、止揚学園にはプールがあります。夏のプール開きでは、仲間の代表が挨拶をします。私なら、「今年も楽しい夏が始まりました。みんなで楽しく泳ぎましょう」と言うと思います。

ところが、代表になった仲間は、「プールさん、この夏も一緒に泳ぎましょう」と話しかけたのです。

その人にとって、プールは人間とは違う位置にある物ではありません。同じ場所に立ち、共に夏を過ごす存在なのです。

人間だけが特別な存在として、自然や動物、物の上に立っているわけではない。木々や虫、動物、物にも命を感じ、同じところに立つ。仲間たちは、そのような見方を私たちに教えてくれています。

環境破壊をはじめ、さまざまな問題が起きている今の時代だからこそ、この感覚が大切なのではないでしょうか。

人生の価値を決めるのは、他人ではなく自分自身

竹内:
現代の学生たちは、偏差値や就職活動、SNSなどを通して、常に誰かと比較され、選ばれることを求められています。止揚学園には、そうした上下関係や比較とは異なる世界があるように感じます。

福井:
今の若い人たちは、常に何かと比べられ、競争する現実のなかで生きています。就職活動も早くなり、「選ばれるためには、何をしなければならないか」という考えに追われています。

私が話していることを、若い人たちがすぐに受け入れるのは難しいかもしれません。若い人たちには、若い人たちなりの現実があるからです。

ただ、そのような生き方に疲れ、「本当は、そこで生きたくない」と感じている人もいると思います。それでも、ほかの生き方や考え方を知らないために、その世界で頑張り続けなければならないと思ってしまう。

福祉の仕事は、地道で、華やかではなく、社会的に称賛される仕事には見えないかもしれません。しかし、私たちは、他人の人生を生きているわけではありません。

自分の人生の価値を決めるのは、他人ではなく、最後は自分自身です。社会からどう見られるかだけでなく、「自分はどう生きたいのか」を考えることが大切なのだと思います。

「楽しい」の意味は、働き続けるなかで変わっていく

竹内:
止揚学園で長く働くなかで、職員の皆さんにも変化があるのでしょうか。

福井:
若い職員や実習生に感想を聞くと、「楽しかったです」と言ってくれることがあります。

楽しいことには、いろいろな形があります。遊園地やコンサートへ行く楽しさもあります。それも大切な楽しさです。

しかし、止揚学園で感じる楽しさや喜びは、人間と人間が支え合い、命と触れ合うことのなかにあります。それは、分かりやすく笑ったり、盛り上がったりする楽しさだけではありません。

人間と人間が支え合いながら、一緒に歩んでいくことは、しんどいことでもあります。しかし同時に、深い喜びでもあります。

働き始めて、すぐにそのことが分かるわけではありません。けれども、仲間たちとの暮らしを続けるなかで、少しずつ「楽しい」という言葉の意味が広がり、変わっていきます。

長く働き続けてくれている職員の姿を見ていると、そのような変化を感じます。

福祉は、一人の能力ではなく、チームで支える仕事

竹内:
止揚学園での暮らしを支えるうえで、職員同士の関係も重要なのでしょうか。

福井:
福祉は、一人ではできません。どれだけ一人の能力が高くても、一人で仲間たちの生活を支えることはできません。

例えば、運動会では、楽しい企画や進行を担当する職員がいます。一方で、仲間たちの体調を見ながら、「そろそろお手洗いに行ったほうがよいのではないか」「少し疲れているから休んだほうがよいのではないか」と考える職員もいます。

表に見える企画を担当する人も、健康や生活を支える人も、どちらも必要です。「こちらは任せる」「あちらは任せてほしい」と、互いを信頼できるからこそ、仲間たちにとって楽しい一日が成り立ちます。

担当の職員一人にすべてを任せるのではなく、その場にいる職員全員が仲間たちを見ています。困ったときに声を上げれば、みんなが一緒に考えてくれる。そういう安心感が必要です。

職員同士の関係が悪く、横のつながりがなければ、仲間たちにもすぐに伝わります。職員がつながり、みんなで自分たちを支えてくれているという安心感に包まれて、初めて仲間たちも安定して暮らすことができます。

長く働いてきた職員には、この関係を守り、若い職員へ伝えていく役割があると思っています。

自立とは、一人で生きられるようになることだけではない

竹内:
ある仲間が、少しずつ食堂で一緒に食事ができるようになってきたというお話もありました。止揚学園では、「自立」をどのように捉えていますか。

福井:
新しく止揚学園に来た仲間のなかには、初めは建物の中へ入ることさえ難しい人もいます。ご両親と何度も足を運び、少しずつ中へ入れるようになり、やがて同じ部屋で過ごし、食堂で一緒に食事ができるようになる。その変化には、とても大きな意味があります。

私たちは、無理に椅子へ座らせたり、「食事の時間だから食べなさい」と強いることはしません。少しずつほかの仲間たちとの関係ができ、その人が安心して同じ場所にいられるようになることも、大切な自立だと思っています。

一般的には、自立とは、仕事をして、お金を稼ぎ、一人で生きていけるようになることだと考えられています。それも一つの自立だと思います。

しかし、自分が暮らしている場所がどのような場所なのかに気づき、そこにいる人たちと関係を持てるようになることも、立派な自立ではないでしょうか。

誰かに支えてもらいながら、自分も誰かを支えている。自分がどのような関係のなかで生きているのかを知ることも、人間が生きていくうえで大切なことだと思います。

多様性とは、相手を自分の側へ入れることではなく、自分も変わること

竹内:
止揚学園も一つの社会であるというお話がありました。仲間たちが地域のなかで暮らしていくうえで、社会にはどのようなことが求められると思いますか。

福井:
止揚学園という小さな社会のなかでは、みんながお互いのことを知っています。

大きな声を出している仲間がいても、「今日は少し不安定なのかな」「台風が近づいていて、気圧の影響があるのかな」と考えることができます。大きな声を出している姿だけでなく、静かに過ごしているときや、笑顔でいるときも知っているからです。

しかし、社会へ出ると、初めて出会う人は、その一場面しか知りません。

以前、ある仲間とレストランへ行ったとき、その人が大きな声を出し、自分を叩く行動がありました。同じ店にいた2歳くらいの女の子が、それを見て「怖い」と泣き出しました。

仲間は、誰かを怖がらせようとしていたわけではありません。女の子も、相手を傷つけようとしたわけではなく、感じたことをそのまま表しただけです。どちらも、ありのままの感情を出していたのだと思います。

大人は、その場でどうすればよいか悩みます。しかし、もしその女の子が、その仲間と少しでも一緒に過ごしたことがあれば、大きな声を出しているときだけでなく、穏やかに笑っている姿も知ることができます。「今日は少し不安定なのかな」と、優しい気持ちで見ることができるかもしれません。

多様性とは、自分の周囲に壁をつくり、自分にとって都合のよい人だけを、その内側へ招き入れることではありません。

完全に壁をなくすことは難しくても、自分の壁を少し低くする。相手だけに変わることを求めるのではなく、自分も変わる。それがなければ、多様性は言葉だけのものになってしまいます。

知ることによって、恐れは関係へ変わっていく

竹内:
大人になってから初めて、自分とは異なる背景や特性を持つ人と出会うと、壁をつくってしまうことがあります。幼い頃から出会う機会をつくることも大切なのでしょうか。

福井:
止揚学園の職員の子どもたちは、幼い頃から仲間たちと一緒に過ごしています。そのため、仲間が大きな声を出していても、その人のことを知っているので、自然に受け止めています。

また、関東のとある小学校の子どもたちとの交流も、30年以上続いています。子どもたちは、親元を離れて4泊5日、止揚学園で仲間たちと過ごします。

初めは、手をつなぐことさえ難しかったり、大きな声を怖いと感じたりする子もいます。しかし、一緒に食事をし、同じ時間を過ごすなかで、仲間たちのさまざまな表情を知っていきます。

帰る頃には、「来年もまた来るね」と言ってくれる。出会う前とあとで、子どもたちの見方が大きく変わることがあります。

社会へ突然放り出し、「多様性を理解してください」と求めるだけでは難しいと思います。少しずつ知り、同じ時間を過ごし、関係をつくっていくことが大切です。

大きな声を出すことがある仲間にも、社会の一員としてレストランで食事をする権利があります。いつでも静かに食事ができるとは限りません。それでも、仲間たちが生きていける場所を社会からなくしてはいけません。

誰もが一緒に食事をできる社会であってほしいし、そういう社会をつくらなければならないと思います。

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事実を正すことより、その人の「うれしい」を大切にする

竹内:
仲間たちの見ている世界や、感じている気持ちを受け止めるうえで、大切にされていることはありますか。

福井:
Bさんという仲間は、花が大好きです。以前、みんなで淡路島へ行ったとき、たくさんの花を見て、とても喜んでいました。

翌日、「昨日は楽しかったですね」と話すと、Bさんは「私は昨日、北海道から帰ってきました」と言いました。

実際に行ったのは淡路島ですから、事実としては間違っています。しかし、Bさんにとって北海道は、花が咲き乱れ、おいしいものがたくさんある憧れの場所です。Bさんが淡路島で感じた喜びは、北海道へ行ったときのような大きな喜びだったのだと思います。

そこで、「昨日行ったのは北海道ではなく、淡路島ですよ」と何度も訂正してしまえば、Bさんの喜びまで否定することになってしまうかもしれません。「あなたのうれしさは間違っています」と伝えることにもなりかねません。

北海道か淡路島かという事実だけに焦点を当てるのではなく、「うれしかった」という気持ちを大切にしたいと思っています。

正しいか、間違っているかだけでは捉えられないものがあります。その人が何を感じ、どのような心でその言葉を語っているのか。目に見える言葉の奥にある気持ちを受け止めることが大切です。

臨床心理学を学ぶ学生へのメッセージ

竹内:
最後に、臨床心理学を学び、人の心に関わる仕事を目指している学生たちへ、メッセージをお願いします。

私自身、臨床心理学を学び始めたとき、教授から「臨床心理学を学ぶ一番の教科書は、普通の教科書ではなく、自分の心にある」と教えられました。

さまざまな場所へ出て人と出会い、そのとき自分の心がどのように動いたのかを見ることが、一番の学びになるという意味です。止揚学園には、まさにその学びがあると感じました。

福井:
学生の皆さんには、自分があらかじめ想定している答えにたどり着こうとするのではなく、自分が思ってもいなかった答えを受け入れられる、おおらかさを持ってほしいと思います。

自分とはまったく違う考え方や、ものの見方に出会ったとき、すぐに「正しい」「間違っている」と判断するのではなく、適切な距離を保ちながら、その考え方とどのように折り合いをつけていくのかを考えてほしいと思います。

自分の望んでいた答えが得られ、自分の思いどおりになることは、安心につながります。しかし、人生は、いつも思いどおりになるわけではありません。

思いどおりにならないことも人生なのだと受け止められる視野が、これからますます必要になるのではないでしょうか。

自分のことは、自分が一番分からないものです。自分一人で、自分のすべてを理解することはできません。人と関わり、人との関係のなかで、相手から自分を教えてもらうのです。

心理学を学ぶ皆さんにも、教科書のなかだけで答えを探すのではなく、さまざまな人と出会ってほしいと思います。その出会いのなかで、自分の心がどのように動いたのかを見つめ、思いもよらなかった答えを受け止めていってほしいと思います。

止揚学園で暮らす仲間たちは、言葉で多くを説明するわけではありません。しかし、その笑顔やしぐさ、日々の営みを通して、私たちに問いかけ続けています。

人間が生きるとは、どういうことなのか。
人を支えるとは、どういうことなのか。
自立や多様性とは、本当は何を意味するのか。
そして、目に見えない心の言葉を、私たちは聞こうとしているのか。

その問いに、すぐに一つの答えを出す必要はありません。答えを急がず、目の前の命と共に歩み続けること。その止揚学園の64年にわたる実践そのものが、これからの社会のあり方を考えるための、大切な手がかりとなっています。

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おわりに

今回、実際に止揚学園を訪れて、最初に印象に残ったのは、施設全体がとても丁寧に整えられていたことでした。それは単に「きれいな施設」ということではなく、仲間の皆さんが少しでも心地よく、安心して暮らせるように、建物や食器、身の回りにある一つひとつの物を大切にされていることの表れなのだと、福井さんのお話を伺うなかで気づかされました。

仲間の皆さんと一緒に昼食をいただいた時間も、強く心に残っています。仲間の皆さんと職員の皆さんが自然に言葉を交わし、誰か一人を担当者だけに任せるのではなく、その場にいる全員で互いの様子を気にかけている。そこには「支援する側」と「支援される側」という明確な境界があるのではなく、同じ場所で生活を営む人たちの姿がありました。事前に伺っていた「人生を共に歩む仲間」という言葉を、理念としてではなく、日々の暮らしのなかに流れる空気として感じられたように思います。

私は当初、止揚学園における障がい福祉の実践について伺うつもりで訪問しました。しかし、福井さんのお話は、障がいや福祉という枠にとどまらず、人間をどのように見るのか、他者とどのように関係を結ぶのか、そして社会や自然、物をどのように捉えるのかという、より根源的な問いへと広がっていきました。

言葉を話すことが難しければ、意思疎通はできないのか。支援する人は、支援される人より上に立つのか。自立とは、一人で何でもできるようになることなのか。多様性とは、相手を自分たちの側へ受け入れることだけを意味するのか。

福井さんのお話は、私たちが知らず知らずのうちに身につけている見方や、当然のものとして受け入れている社会の基準を、一つひとつ問い直すものでした。なかでも、「仲間たちの心の言葉を聞くことを諦めてはいけない。そして、その言葉を聞けるかどうかは、私たち次第である」というお話が、特に心に残っています。

私はこれまで臨床心理学を学び、人の心に関わる活動を続けてきました。しかし、心について専門的に学ぶことと、目の前の人の言葉にならない思いに耳を傾けることは、必ずしも同じではありません。知識や理論を通して相手を理解しようとすることは大切ですが、自分が想定した答えに相手を当てはめようとした瞬間に、見えなくなってしまうものもあります。福井さんの「自分が思っていなかった答えを受け入れるおおらかさが必要だ」という言葉は、心理学を学ぶ私自身に向けられた言葉のようにも感じました。

今回の訪問を通して、何か一つの明確な答えを得たというよりも、これから考え続けたい問いを数多くいただいたように思います。それは、一度の訪問で止揚学園の実践を理解したと言うことは到底できないほど、ここで積み重ねられてきた時間と関係が深いからでもあります。

止揚学園で暮らす仲間たちは、言葉で多くを説明するわけではありません。しかし、その笑顔やしぐさ、日々の営みを通して、私たちに問いかけ続けています。

人間が生きるとは、どういうことなのか。
人を支えるとは、どういうことなのか。
自立や多様性とは、本当は何を意味するのか。
そして、目に見えない心の言葉を、私たちは聞こうとしているのか。

その問いに、すぐに一つの答えを出す必要はありません。答えを急がず、目の前の命と向き合い、共に歩み続けること。止揚学園が64年にわたり積み重ねてきた実践そのものが、これからの福祉や教育、そして社会のあり方を考えるための、大切な手がかりになっていると感じました。

今回一度伺っただけでは、まだまだ知りたいこと、学ばせていただきたいことがたくさんあります。私自身、今回のお話をこれから時間をかけて咀嚼し、今後の活動や人との関わりのなかで生かしていきたいと思います。そして、大学としても、私個人としても、また止揚学園を訪れ、仲間の皆さんや職員の皆さんと時間をご一緒できればと思っています。

インタビュアー | 竹内良地
京都文教大学 地域企業連携コーディネーター / Rapport株式会社CEO

京都文教大学臨床心理学部卒業後、ネスレ日本株式会社に新卒入社。営業および企画業務に従事。2022年には、臨床心理学の知見を活かした人材・組織開発プロジェクトを企画し、社内コンテスト「イノベーションアワード」を受賞。
その後、ユニファ株式会社を経て、2023年よりActors合同会社の立ち上げに参画。最高執行責任者(COO)として3つの事業を立ち上げ、各事業責任者を務める。2026年、同社事業をM&Aにより売却。
ビジネス現場で経験を積む傍ら、京都文教大学「ソーシャル・イノベーション人材養成プログラム」地域企業連携コーディネーター、NPO法人カタリバのメタバース型不登校支援、NPO法人サンカクシャの就職困難若者支援など、教育・福祉領域での実践にも携わる。
ビジネス、教育、NPOの3領域を横断し、臨床心理学の知見を活かしたイノベーションをより大きなスケールで実現することを目的に、2026年4月にRapport株式会社を創業。代表取締役CEOに就任。

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