所員によるコラム

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2013/11/20

人間学研究所、「先祖がえり」を目指して

長﨑励朗(総合社会学部専任講師)

 「人間学研究所」という名前を聞いて真っ先に連想した一つの研究施設がある。京都大学人文科学研究所(以下、人文研)である。大学時代、この研究所に直接所属したこともなければ、図書館以外に出入りしたこともないのだが、私自身はこの研究所に強い思い入れがある。
 人文科学研究所の前身は、一九二九年四月に、義和団の乱の賠償金を元手に設立された東方文化学院京都研究所である。北白川の住宅街にそびえ立つスパニッシュ風建築はこのとき建設され、現在は分館となっている。実はそこから歩いて一分ほどのボロ下宿で私は学部時代の半分を過ごしたのだが、当時の私は「しゃれた建物があるな」という程度の感慨しか抱いていなかった。
 ところが、院生時代に入って本格的な研究生活をはじめてみると、自身の研究がこの施設と深いつながりがあることに気付きはじめた。感銘を受け、参考文献にあげる人物がことごとく一九五〇年代~六〇年代にこの研究所に所属していたのである。加藤秀俊、鶴見俊輔、多田道太郎、桑原武夫、そして梅棹忠夫・・・。彼らはネオ京都学派と呼ばれ、当時の知的世界で破天荒な活躍を見せていた。
 ネオ京都学派の業績は、ルソー研究などのいわゆる「かたい」研究でよく知られているが、むしろ彼らの真骨頂は「しょうもないこと」から普遍的な人間のあり方を考えるという名人芸にある。一例として加藤秀俊がパチンコ研究の成果として論じた「無目標社会の論理」をひいてみよう。

 いま日本にある三百万台のパチンコのまえで、三百万本の親指がバネをはじいている。バネをはじくという肉体的行為は、何カロリーかの物理的エネルギーに換算できる。そのエネルギー単位をXとおき、バネをはじく回数を仮に平均五〇回とすると、Xに一億五千万をかけた数値の物理的エネルギーが、一日にパチンコに投入されるエネルギー量として算出できる。おそらく、その総エネルギー量は大工場の二つや三つをうごかすに足りるであろう。

 バカバカしいといえばバカバカしい計算なのだが、このことから加藤はポスト工業化の時代における自己目的的な社会の到来を看破した。一九六三年のことである。
 人文研には、その他にも奇妙な研究が目白押しだ。未来学を提唱し、「未来の納豆」を考えてみたり、はたまたSF作家の小松左京や国際法の学者と共謀して人工の島を独立国にできないか、と真剣に悩んでみたり・・・。今の学問の世界にもこんな馬鹿げた研究があったらどんなに痛快だろうか。
 このような奇妙な研究が全力でおこなわれる知的風土とはどのようなものだったのか。研究の過程で知己を得た加藤秀俊氏に直接尋ねてみると、面白い事実が浮かび上がってきた。一連の研究が生まれる要因は、人文研における共同研究プロジェクトの乱立状態にあるというのである。人文研に所属する学者たちは複数のプロジェクトに参加し、それぞれの研究領域から同じ問題について考える。俗に「京大式」といわれるB6版のカードもこの過程で生み出されたらしい。彼らは一流の学者集団だったからこそ、互いの領域を尊重し、理解しあい、共通の目標に向かって突き進むことが出来たのだろう。
 そんな人文研と京都文教大学の間には何かと接点が多い。建学時の学術顧問には、梅棹忠夫や、人文研の親戚のような研究機関、国際日本文化研究センター所長もつとめた河合隼雄が名を連ねている。
 このような伝統を持つ本学に「人間学研究所」という名前の研究機関があることは偶然にしては出来すぎである。梅棹は「情報とはエーテルのようなものだ」と言ったが、空気中を流れる気体は花の種子を運ぶ働きもする。人文研から流れてきた共同研究という知的風土の種子は、偶然ではなく、必然的に本学に根付いたのではないだろうか。人間学研究所とは、そのような場所であると私は考えている。
 ところで、冒頭に述べた「スパニッシュ風建築」とも、私はいささか縁がある。最後に少しそのエピソードも語っておきたい。あの建築物を建てた人物の名は東畑謙三。日本を代表する建築学の権威である。この名前を知ったとき、学生時代に仲の良かった二つ上の先輩が頭に浮かんだ。臨床心理学を専攻していたその先輩の姓が「東畑」だったからだ。なんとなくメールしてみると先輩から思いがけない答えが返ってきた。
 「よくそんなマニアックな名前を知ってるね。それは、僕の大叔父です。」
またしても私は人文研との奇妙な縁を感じることとなったわけである。その人は京大臨床にいた先輩だから、あるいは本学の臨床心理学部にもつながりのある先生方はいらっしゃるかもしれない。
 本学の一室にひっそりと存在している人間学研究所は、件のスパニッシュ建築に比ぶべくもないが、心は錦。あのそびえ立つ尖塔のようなこころざしを持ち、「先祖がえり」する気持ちで共同研究に取り組んでいきたいと常日頃から考えているのである。

2013/11/20

人間学研究所所員エッセイ

高石浩一(臨床心理学部教授)

 人間学研究所は本学設立と同時に設置され、今日に至るまで本学の学問的情報発信基地として、その中心的役割を担ってきた機関である...と、こんな大上段な前振りから始めたのには、大きな理由がある。多分私は、人間研の所員でなかった時期がほとんど思い出せないほどずっと所員であったし、歴代の所長ほぼ全員と仕事をしてきたという自負があるからである。
 なぜかというと、人間研が好きだからである。私にとってここは、唯一の学内異業種交流の場である。ライデン大学に移られた初代所長のベフ・ハルミ先生、家屋研究の西川祐子先生やアフリカ研究の日野舜也先生、仙人のようなオッチーこと越智浩二郎先生、ユング心理学の秋田巌先生に大道芸人の鵜飼正樹先生、そうして現所長の依田博先生と歴代の所長は皆魅力的な方々であり、それぞれの独自性を前面に押し立てて人間研、ひいては京都文教大学の学際研究を盛り立ててこられたと思う。
 月に一度、昼休みのわずかな時間に交わされる所員会議は、とても刺激的である。インドにおけるトルコ人の出稼ぎ問題、ニュータウンのゴーストタウン化問題、アフリカの親族システム、奇人変人の大道芸、春画の再発見...その他数多くの話題が、様々なバックボーンを持った所員の口から語られ、まったく違う研究領域の先生によって話題がさらに拡がり、30分ほどの会議はほぼ雑談で終始する。出席していて、唯一ストレスを感じない会議...それが人間研の所員会議である。
 ちなみにこうした人間研の拡散的議論を、足が地についた活動に落とし込んでくれる実務一切を担ってくれているのが、もと私のゼミ生だった研究支援課の立石君である。こんな素敵な場だから、私はずっと他人には語らず譲らず、いつまでもヌシみたいな顔をして、何食わぬ顔で「今年も所員になりました」と嘯いているのである。